東京地方裁判所 昭和23年(ワ)4648号 判決
原告 佐藤伸彦
被告 加藤金次郎
一、主 文
被告は原告に対し東京都品川区北品川四丁目七百十八番地の三四にある家屋番号同町第二百六番木造瓦葺二階建一棟建坪六十四坪九合五勺二階十一坪二合五勺(但し、疊、建具、その他造作一式並に電燈、瓦斯、水道付)を明け渡し、且つ、昭和二十三年十月十日の一日につき一箇月金四百五十円、翌十一日から昭和二十四年五月三十一日まで同千百二十五円、同年六月一日から右明渡の済むまで同千八百円の各割合による金員を支拂うべし。
原告のその余の請求はこれを棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は「被告は原告に対し主文第一項記載の家屋(但し、疊、建具その他造作一式並に電燈、瓦斯、水道附)を明け渡し、且つ、昭和二十三年十月十日から昭和二十四年五月三十一日まで一箇月金千八百七十五円、同年六月一日から右明渡の済むまで一箇月金三千円の割合による金員を支拂う。訴訟費用は被告の負担とするとの判決並に担保を條件とする仮執行の宣言」を求め、その請求の原因として、原告は昭和十四年四月一日被告に対し原告所有の前記家屋(以下甲家屋と称する)を同附属物件附のまま賃料一ケ月百八十円、毎月末日拂の約旨で賃貸したが、右賃貸借については、当時慶應義塾に在学中の原告が大学を卒業したときは賃貸借は当然に解除となる旨の特約があつたので右賃貸借は昭和十九年九月二十日原告が慶應大学を卒業すると同時に條件の成就によつて解除となつて終了した。仮に右のような特約がなかつたとしても、甲家屋は先祖傳來の家屋であつて、原告はこれを自ら使用する必要を生じたので、昭和二十三年四月八日附翌九日到達の書面で被告に対し右賃貸借を解約する旨の申入をしたが、原告はこれに先立ち被告の轉居先のことまでも心配して、昭和二十一年二月頃以來数回に亘り被告に対し、被告が轉居先を必要とする場合には原告所有の東京都世田谷区松原町四丁目百四十番地にある木造瓦葺平家建住宅一棟建坪五十坪(以下乙家屋と称する)を賃貸してもよい旨を申し出て居る次第であるから、右解約の申入は正当であり、従つて、本件賃貸借はその後六箇月を経過した昭和二十三年十月九日限り解除せられて終了したのである。しかるに、被告は依然として甲家屋を占有し、賃貸借の終了に基く原状回復義務に違反し、原告をして同家屋の適正賃料と同額の損害を蒙らしめているが、甲家屋の当初の賃料はその後増額せられ、昭和二十一年九月一日当時は一箇月三百円となつていたから、昭和十二年以前の建築にかかる甲家屋の適正賃料は昭和二十二年九月一日からは地代家賃統制令並に同年物價廳告示第五百四十二号により一箇月七百五十円、昭和二十三年十月九日からは同令並に同年物價廳告示第千十二号により一箇月千八百七十五円、昭和二十四年六月一日からは同令並に同年物價廳告示第三百六十八号により一箇月三千円となるべき筋合である。よつて、被告に対し甲家屋(附属物件附のまま)の明渡と本件賃貸借終了後の昭和二十三年十月十日から昭和二十四年五月三十一日まで一箇月千八百七十五円、同年六月一日から右明渡の済むまで一箇月三千円の割合による損害金の支拂を求める次第であるが、仮に本件賃貸借が以上の理由によつては終了せず、その理由による請求が排斥せられる場合には、被告は昭和二十三年十月上旬甲家屋の一部を訴外清水幸次郎に轉貸したから、これを理由に右賃貸借を解除し甲家屋の明渡を求めるものであると述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として、原告の主張事実中、被告が原告主張の日に原告からその所有の甲家屋(附属物件附のまま)を賃料は一箇月百八十円毎月二十八日拂ということで賃借し、爾来これを占有していること、原告主張のような解約申入の書面が到達したこと、原告主張の日頃乙家屋を賃貸するから甲家屋を明け渡して貰い度い旨の要求があつたこと及び被告が昭和二十三年十一月頃甲家屋の四疊半二間を清水幸次郎に使用させた事実のあることは認めるが、甲家屋の適正賃料が原告主張の通りであることは知らない。その他の事実は否認する。(一)被告は昭和十四年頃は日本水力工業株式会社(当時の資本金五百万円)の取締役社長として社会的に相当高い地位にあり、その住居もこの地位にふさわしいものが必要であつたので、都内港区芝高輪南町四十七番地に甲家屋よりも遥か立派な邸宅を借りていた。被告が甲家屋を賃借したのは、当時原告の母佐藤秀子が夫を失い困つて同家屋を貸家に出したが借り手がないということを聞知したので、秀子に同情して借りてやつたのである。從つて、その賃借に当つて、原告が大学を卒業したときは賃貸借が解除になるというような條件を附したことはない。右賃貸借については書面(甲第一号証)が作成されたが、その中に原告主張のような條件に関する記載のないことはこの間の消息を物語るものである。(二)原告の眞意は甲家屋を自ら使用するにあるのではなく、他に高價で賣却するにあるのである。さて、被告の一家は僅か三名にすぎないが、被告は今日もなお前記日本水力工業株式会社の取締役社長であり、財團法人興新会、同エヂソン会の各理事長の職に在り、建物拂底の折柄、甲家屋をこれらの関係の会合や地方から上京する右会社の重役等の宿舎として使用している次第である。乙家屋は狹隘でこれ等の需要を充たすに足らないばかりでなく、都心を離れた交通不便な場所にあり、被告のような社会的地位にあるものの住居にはふさわしくないから、被告は是非共甲家屋を必要とするのである。(三)被告が清水幸次郎に甲家屋の一部を使用させたのは轉貸ではない。清水は引揚者で、適当な住居がなくて困つていたので、被告はこれに同情し、同人に四疊半二間を無償で使用させ、電燈料、水道料、瓦斯代等まで被告が負担しているのである。これを要するに、原告の本訴請求は何等そのいわれのないものであると述べた。<立証省略>
三、理 由
原告が昭和十四年四月一日被告に対しその所有の甲家屋をその主張のような附属物件附のまま賃料は一箇月百八十円毎月二十八日拂ということで賃貸したことは当事者間に爭がない。
よつて先ず、右賃貸借は原告主張のような解除條件附で取り結ばれたものか否かについて按ずるに、証人佐藤秀子(第一、二回)、吉岡竹造の各証言を綜合して考えれば、甲家屋は右賃貸借のできるまでは原告家の住居として使用されていたものであり、同賃貸借は昭和十三年中王子製紙株式会社の取締役をしていた原告の父が死亡し、原告家としてはかかる大邸宅の生活について不安が感ぜられるに至つたので、原告の母佐藤秀子が原告を代理して取り結んだものであること及びかような事情による賃貸であつたため秀子は甲家屋に執着を感じ、当時慶應義塾に在学中の原告が大学を卒業した曉には再び甲家屋に居住したい希望を抱いており、右賃貸借に際してもその希望を被告の妻にそれとなく漏らしたことを認めるに難くないけれども、その際進んで、原告が大学を卒業したときは右賃貸借が当然に終了するものであることを申し入れ、これについて被告の承諾を得た旨の右各証人の證言は、前示佐藤秀子の第一回の證言により右賃貸借について作成された契約書であることの明かである甲第一号證中に右合意に関する記載のないこと及び被告本人訊問の結果と対照してにわかに信用し難く、原告の提出援用に係るその他の證拠では到底右のような合意のできたことを認めるに足らないから、右賃貸借は結局期間の定めのない賃貸借と認定するの外はない。從つて右賃貸借が原告主張のような解除條件の成就によつて解除となつて終了したことを原因とする原告の請求は他の判断を待つ迄もなく、何等その理由のないものといわなければならない。
次に、原告が昭和二十三年四月八日附翌九日到達の書面で被告に対し右賃貸借解約の申入をしたことは当事者間に爭がないから、右解約申入は正当であるか否かについて考えて見るに、家屋賃貸借における解約申入の正当事由について一般的基準を示すことは必ずしも容易なことではないが、賃貸人に賃貸家屋を自ら使用する必要があり、賃貸人が賃借人に対し相当な轉居先を提供する用意をしているような場合に解約の申入を正当とすべきことは疑問の余地がない。この見地に立つて本件を按ずるに、證人佐藤秀子の第三回の證言及び原告本人訊問の結果を綜合すれば、原告の現住するその肩書地にある家屋すなわち乙家屋は間数七箇を有する相当大きな家であり、これに居住するものは原告と祖母、母、妻、子供二名、女中一名(但し、この内子供一名は前記解約申入後に生れ、また、女中はその後雇い入れたもの)の七名に過ぎず、従つて、問題を住居という点に限極する限り、原告は敢て甲家屋を自ら使用する必要に迫られている訳ではないが、原告の家運は先に認定したその父の死亡後下向きとなり、遺産の多くはこれを処分し、本件解約申入当時における主な遺産としては甲、乙家屋と神奈川縣逗子にある建坪二十六坪位の家屋と株式三百株位のものに過ぎず、また、原告の收入もその勤務先の王子製紙株式会社から支給される一箇月一万円位の給料と甲家屋と逗子の家屋の賃料(この家屋の賃料は一箇月八十円の低賃料であるが、賃借人夫婦がときに病気で縣から扶助を受けている事情にあつて、値上は困難である)だけで、家計は年とともに窮迫し、税金の滞納も既に二、三万円に達する状況にあり、一日も早く家運挽回の手段を講ずるのでなければ、遂に経済的に破綻することを免れない運命にあること及び原告一家が甲家屋に居住することになれば同家屋には原告の父の好みによつて設けられた茶室に適する部屋があるが、原告の母秀子は茶の湯の免許を受けているので、ここで茶の湯の教授をして幾分でも家計を助ける途が開かれ、また、甲家屋は廣大で原告一家がこれに入つてもなお余裕があるから、逗子で家主から立退きを迫られている原告の叔母春日井はつ一家の者を引き取り、更に、その一部を前記会社に倶樂部として賃貸し相当の收入を挙げて窮状を切り拔ける便宜も得られることを認めることができ成立に爭のない乙第四号証中右の認定に反する部分は信用し難く、被告の提出援用に係るその他の証拠によつてはこの認定を動かすに足らない。しかして、以上の事実は原告の甲家屋を自ら使用する必要ありとすることが原告一箇のほしいままな野望に出るものではなくて、合理的の理由に基くものであることを物語るものであるから、原告は被告に対し相当な轉居先の提供を用意しているか否かについて見るに、原告が昭和二十一年二月頃被告に対し原告所有の乙家屋を轉居先として賃貸しても良い旨を申し出たことは当事者間に爭がなく、また、原告が被告に賃借の意思があれば現在でも乙家屋を原告に賃貸する用意のあることは証人佐藤秀子の第二回の証言に徴して明白である。被告は乙家屋は被告の社会的地位に較べて不相当であると主張し、被告本人訊問の結果及び成立に爭のない乙第一号証竝にその趣旨、方式によつて財團法人の寄附行爲と認められるから眞正に成立したものと推認される同第二、三号証の各一、二を綜合すれば、被告は日本水力工業株式会社代表取締役、財團法人興新会、同エヂソン会の各理事長の職に在り、相当高い社会的地位を占めていること及び被告の一家は被告と子女二人の三名(但し、甲家屋に現住する者は被告と女中の二名だけであり、このことは成立に爭のない甲第四号証によつて明かである。)に過ぎないが、建物拂底の折柄、被告は各会社及び財團法人の役員会等に自宅を提供しなければならない立場にあり、從つて、被告の住居はこれ等の会合に利用できる廣大なものであると同時に交通至便の場所にあることが望ましいことを認めるに難くないが、乙家屋が間数七箇を有する相当廣大な家屋であることは先に認定した通りであり、更に、これが井ノ頭線東松原駅から徒歩五分位の所にあり、自動車も通ずることが原告本人訊問の結果によつて明瞭である以上、乙家屋も必ずしも、被告の住居に対する前記要望に添い得ないものではないといわなければならない。しかして、乙家屋が被告の住居に対する要望に添い得る以上、たとえ、同家屋がその規模、構造、位置において甲家屋に劣るところはあつても、國民が相互扶助の精神を最大限に発揮しお互の生活上の困苦を力めて軽減し合い、明日えの希望をつなぎ止めて生きる外に共存の途のない現下の社会経済事情の下では、乙家屋は被告の身分、地位に相当な轉居先と認めるを相当とする。果して然らば、前記解約申入は正当であつて、本件賃貸借は右解約申入後六箇月を経過した昭和二十三年十月九日限り解約せられて終了し、被告は原告に対し甲家屋(附属物件附のまま)を明け渡す義務と合せてその義務の不履行によつて原告の蒙る損害を賠償する義務を負うに至つたものといわなければならない。ところで、家屋の賃貸人が賃借人の賃借家屋明渡義務の不履行によつて蒙る損害は特段の事情のない限り当該家屋の適正賃料相当額と認めるべきであるが、原告本人訊問の結果によれば、甲家屋は昭和十二年以前の建築にかかることが明かであるから、その一箇月の適正賃料は昭和二十二年九月一日からは地代家賃統制令竝に同年物價廳告示第五百四十二号によりその当初の賃料一箇月百八十円の二・五倍の四百五十円、昭和二十三年十月十一日からは同令竝に物價廳告示第千十二号により千百二十五円、昭和二十四年六月一日からは同令竝に物價廳告示第三百六十八号により千八百円にそれぞれ増額せられたものと認めるのを相当とする。原告は右昭和二十二年の告示施行当時の甲家屋の一箇月の賃料は三百円に増額せられていたと主張するけれども、これを徴すべき証拠がないから、甲家屋の適正賃料は右三百円を基準として算定さるべき旨の原告の主張は採用することができない。
果して然らば、被告は原告に対し甲家屋(附属物件附のまま)を明け渡すとともに、本件賃貸借終了の翌日である昭和二十三年十月十日の一日につき一箇月四百五十円、翌十一日から昭和二十四年五月三十一日まで同千百二十五円、同年六月一日から右明渡の済むまで同千八百円の各割合による損害金を支拂う義務は負つているが、それ以上の義務を負ういわれのないことが明瞭であるから、原告の本訴請求は主文第一項記載の限度では正当として認容すべきも、その余は失当として棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二條但書の規定を適用して主文の通り判決する。
なお、原告の担保を條件とする仮執行の宣言の申立については、本件は同宣言を附するに値しないものと認められるから、これを却下する。
(裁判官 田中盈)